2010年7月

高大連携「ゼミインターンシップ」を行いました。

2010年7月30日 17:00

「ゼミインターンシップ」は、高等学校の生徒さんを本学の研究室に受入れ、卒業研究学生や大学院の学生と共に、1日ないし2日にわたって研究室での学びを体験してもらうプログラムです。フィールドワークに高校生が参加することなど、似たプログラムは一部の学科やゼミで既に行われておりましたが、全学的に行ったのは今回が初めてです。

高校生のために特別なプログラムを準備するのでなく、実験やゼミ討論会(ミィーティング)への参加そして卒業研究の補助など、基本的には、通常のゼミ活動に参加してもらいます。したがってプログラムの趣旨は出前講義や公開講座とは本質的に異なるものです。

初めてのことでもあるので、工業高等学校3校にお声をかけました。工業高校の場合、学科が類似しておれば、比較的自然に研究室に入り込めるのではという考えからです。12名の高校生の参加希望があり、9研究室で受け入れてもらいました。

私は6つの研究室を訪問し、様子を拝見させてもらいました。写真は、工学部知能機械工学科・西本研究室で西本先生自ら3Dカメラで撮ってくれたものです。右から4人目が研修高校生。写真では若干緊張している様子ですが、自走ロボットの回路を組み立てておりました。その左側が"指導員"の本学学生で、研修高校生の高等学校のOBとのことでした。前の晩、回路を設計・試作し、動作確認をしたそうですが、うまく作動するか、彼の方が緊張していたかもしれません。

環境学部環境デザイン学科・平田研究室も訪問しました。平田研究室はインテリアデザイン関係の研究室ですが、2名の女子高校生が参加しておりました。私が訪問した時は、「家族の絆を強めるためのインテリアを考える」という課題について、各人の考えを図を使って2分間で発表し、それについて3分間の質疑応答をするというゼミ討論会をやっておりました。大変興味深く、ついつい予定の時間を超えて長居してしまいました。進行役の大学院生が時々私も指名するものですから私も緊張しました。2人の研修高校生も、大学生と変わらない内容のある発表をしておりました。今回の提案は、「ちょっとした工夫(デザイン)で家族の接点ができる(増える)」というものだったかと思います。これからの高校での学びでも生かしてくれるといいなと思いました。

高大連携は、高校生の進路選択のための情報提供という意味で行われることが多いようです。しかし、高等学校教育と大学教育の有機的連携を図ることによって、新しい教育カリキュラムの展開が可能です。特に技術系の学びにあっては、後期中等教育で実習・感性によって修得した基本的技能や実感を、大学での体系化・高度化された教育に結びつけることができます。大学での教養教育による補強とも相まって、まさに「鬼に金棒」の技術教育となります。

これから目指すべき高大連携の一歩になればと思いながらの研究室訪問でした。


工学部・知能機械工学科西本研究室のみなさんと(西本教授撮影)

工学部 知能機械工学科 西本ゼミの紹介

環境学部 環境デザイン学科 平田ゼミの紹介

大植英次さんの練習指導がありました。

2010年7月29日 11:44

広島を襲った豪雨の被害者を励ますチャリテイーコンサートの練習が本学デネブホールで23日から本番の前日25日までの3日間行われました。指揮は大植英次さん。演奏は、昨年4月、直々指導を受けた学園の広島なぎさ中・高をはじめとする近隣の中学高校音楽部の生徒さんたちです(チャリテイーコンサート開催の詳しい経緯については7月23日付中国新聞朝刊を参照ください)。

その練習に私は2度顔を出しました。初日の23日は会場をお貸しした立場からのいわば様子見。そして24日は練習そのものを個人的に楽しむためでした。写真はそのときの模様です。 素晴しい練習でした。何が素晴しかったか。日ごろ相手にしている演奏者に比べて、音楽の理解においても技術においても全くレベルが劣る中高生を相手に、3、4時間のレッスンを3日続けるという大植氏の熱意。そしてその指導方法。聞き取れたいくつかの言葉を断片的に列記します。

  • 「波のようなイメージで。ゆらりと大きな波が押し寄せるではないですか。あれですよ」
  • 「とうとうと流れる河のように。ドイツで言えばドナウ川。アメリカで言えばミシシッピーかな。対岸が見えないような河。八幡川(五日市にある小さな川)ではないよ(一同笑)」
  • 「オリンピックでも0.01秒で金と銀の違いになるんだよ。これっくらい(親指と人差し指で小さな間隔をつくり)の違い。でも大きな違いなのだよ」。0.01秒くらいの不ぞろいがあったのだろうか。私にはもちろんわかりません。
  • 「音がずれることを恐れてそろりと出すのではなく、間違ってもいい、ズバッと出す」。管楽器演奏者に対する言葉。管楽器は恐る恐る息を吹き込むと音程が揺れる。
  • 「大切なのは拍ではない。小節でもないんだよ。音楽なんだよ」
  • 「そこの○○(音符)にはナチュラルが付いているよ。世界中の演奏者が間違うところなんだよ。みんなも気をつけて」。「みんな」を「世界中の演奏者」にした。
  • 「16分音符は8分音符より長く、8分音符は4分音符より長くひくんだって。16分音符には十分溜め込んで入ろう」。16分音符が並んでいると素人は遅れまいと思って入りが早くなり、しかも滑り落ちる。それを「下手な人はそのようにひく」とは言わずに、音楽の法則みたいに語りかける。その後の演奏では確かにしっかりとタメを持って入っているのが私にも感じ取れました。

熱心な指導者は、そして私のように教育に携わる者は、えてして「何でそんなことがわからないのか。なぜできないのか」と言ってしまう。わからないなりに一生懸命やろうとしている者に「何だ、それは」とけなし、時には侮辱するような言葉すら浴びせてしまう。大植氏は、生徒さんに演奏方法を注意するのでなく、奏でるときのイメージを感覚的にわかりやすく語る。生徒さんたちは頭に浮かんだイメージに沿って音を出そうとする。注意を与えた後、「素晴らしい!全然違う!」と何度言ったことだろう。そして「ああー、かっこいい!」とも。要は、技術や理解を押しつけるのではなく、思いを膨らませ、望んでいる音を出すように仕向けている。

26日の本番では、私はトライアングルの男子中学生を特に注意して見ていました。「トライアングルを月から見えるように掲げ、世界の全ての教会の鐘を鳴らすように」と言われたあの注意を思いだしていたのだろう。緊張しながらも奏でている姿が凛々しかった。大植氏は、練習中、何度、「素晴らしい!!」と言ったことか。私もその男子中学生に「素晴らしい!!」と心の中で言いました。

夜9時近くにまで及んだ本番では、最後の最後に彼は「この子達に盛大な拍手を」と再度聴衆に催しました。全くの素人である中高生に対するレッスンへの情熱は若者に対する彼の愛にほかならないと思わされました。愛は忍耐を生みますし、相手を高める、そして何より、いささかなりとも成功(成長)を共に喜ぶ。忍耐、高めること、そして喜び。練習の中でそのすべてをはっきりと感じとることができました。デネブホールの後方の高い席から練習を眺めながら、「教育は愛なり」(本学の建学の精神)が去来しました。

個人的な余談です。1998年の年末にミネソタ大学を訪問した折、ミネソタ交響楽団の演奏会があることを知って、寒い中(本当に寒かった)演奏会に出かけました。ところが「sold out」という掲示。指揮者は当時音楽監督であった大植英次でした。海外出張の際、演奏会に出かけることはままありますが、空振りを食った数少ない経験です。いたくがっかりしてホテルに戻りました。このところ広島は暑い毎日ですが、その時の寒さをふと思い出しました。

和やかな雰囲気のうちにチャリテイーコンサートが終わったことを喜びたい。と同時にデネブホールの壁とフロアーと天井に「音楽」がしみ込んだことが嬉しい。そして若者に対する一流指揮者の愛。私にはさわやかな練習見学でした。


大植英次さんの練習風景(デネブホールにて)
ステージ背後の窓が開けられていたため逆光となっていますが、ステージ中央が大植氏

本件に関する大学からのお知らせブログ

今年度の自校教育論を終えました。

2010年7月 5日 14:20

7月1日、情報学部・健康情報学科と環境学部・地球環境学科両学科の授業をもって、今年度の自校教育論の学長担当分を終えました。授業の実施には秘書室にお手伝いいただいていますが、「先生、今日が最後ですね。授業の模様を写真にとっておきましょうか」と訊かれました。「写真をつけて学長日記にお書きになったらどうですか」とのこと。「そうか最後か」と思い、したためました。

  • 自校教育論授業風景

  • 自校教育論授業風景

音楽では、奏でる者と聴く者とが一体となって初めて素晴らしい演奏会となります。いい授業も、教員と学生の思いが一つになって初めてできるというのが私の経験的持論です。そのような状況をいかに作るかが教員に問われますが、今回は「今日が最後」という私の思いと学生の何かとが合ったのでしょうか、「会心の出来」と言ってもいい授業でした。

講義の内容や進め方は、レポートに書かれた学生の感想や私自身の反省をもとに、毎回少しづつ改訂していきますが、今回はその上に環境デザイン学科の景山教授(数学担当)の意見に従って内容を工夫し、また注意深く進めました。景山先生からはかねてから「学長の講義を聞きかせて欲しい」という要望があり、前回の講義を聴いてもらいました。先生からは、「感想みたいなことですが」と題して、早速メールが寄せられました。「(私の)言葉自体が聞き取れない部分が多々あった」、「(学生の)レポート作成中は話しをしないで静かに作成させた方が良い」、また、「メモの取り方、レポートの書き方などについては初年次セミナーにも触れ、そこでの学びと関連づけるとよかった」、「話す言葉表現やたとえに注意しないと理解できないことがある」などの指摘がありました。このような経緯もあって意図的に進めましたので、「会心の出来」などと独りよがりしているのかも知れません。学生に加え、同僚教員の意見を聴くことも授業改善には意義あることだと改めて思わされました。

講義の最後に、「本学の教育方針について考えを述べよ」という課題を与え、授業の感想ともあわせて、簡単なレポートを書いてもらっています。前回の環境デザイン学科のレポートの中に、「入学して2ヶ月強経って、初めて本学の教育方針を知った。今日知ることができたため、残りの学生生活を過ごす中で常に心のどこかに留めておきたい」(原文のまま)という感想がありました。また「本学の教育方針である『常に神と共に歩み社会に奉仕する』には、社会、環境、倫理の3つのキーワーズがあり、一つ一つにしっかりとした意味があることを知ることができておもしろかった。『神と共に歩む』では、ばれるばれないではなく、やってはいけないことはやってはいけないに対して、確かにその通りで、そういう心構えを持つことはすごく大切であると思いますが、ばれなければすむこの世の中で、その考えをみんながもつのは難しいと思った」(原文のまま)というレポートもありました。評価と意見が含まれています。

私にとっては最後の講義でしたが、1年生の学生にとっては始まりだったのです。本学の教育方針は50年前の建学時からのものですが、21世紀の技術にこそ大切な視点であると私は確信しております。在学中のみならず、これからの人生で、「心のどこかに留めて」くれれば嬉しいと思いました。ちなみに、景山先生のメールには「私自身、教育方針についての理解が深まりました。感謝」とありました。

4月の「入学式式辞」の補講をようやくやり終えたということでもあります。

追記:講義内容は、2009年5月30日付学長日記に掲載しております。

<< 2010年7月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31