金 凡性

きむ ぼむそん

金 凡性 Kim Boumsoung

環境学部 地球環境学科 准教授
出身:韓国
b.kimu.yi@it-hiroshima.ac.jp
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『地震学』が始まった背景に、日本の地震に驚くヨーロッパ人がいた

地震発生のメカニズムを調べたり、地震を観測して災害予防に役立てる『地震学』は、世界の中で日本がトップを走っている科学分野です。が、実はこの地震学、もともと日本人が始めた学問ではないのです。
日本で地震学が生まれたのは、明治時代の1880年代。開国したばかりの日本には多くの外国人、特にヨーロッパ人がやって来て、レンガ積みの洋風の建物を建て暮らしていました。そこに地震が起こったのです。レンガ積みの建物は、この地震によく揺れました。ヨーロッパ人は驚き、恐れたでしょうね。日本で初めて地震を体験したヨーロッパ人もいたでしょうから。「これは何だ?」と若いヨーロッパ人の科学者が興味を持ち、研究を始めた。それが地震学の起こり。近代的な地震計の発明も、イギリス人の手によるものでした。
日本人にはごく当たり前でも、西洋人にとっては珍しかった。開国により、異文化交流が起こったことで、地震学は誕生したともいえるでしょう。
地震学はやがて日本人研究者によって結成された「震災予防調査会」に引き継がれ、大きく発展することになります。

科学の発展が、国の地位向上に貢献することもある

明治・大正にかけて地震学が発展したのは、近代化が進んでいた時代背景と無縁ではありません。近代化で、日本でも大きな建物や工場が次々に建設され始めました。建物の規模が大きくなると、地震によってもたらされる被害も拡大します。そうした状況を見た明治政府が地震を災害として認知した結果、地震学に力を入れるようになったのです。
1898年、東大の研究者によって造られた地震計が東京に設置されました。この地震計は、アラスカやイタリアの地震もとらえたのです。1906年にはサンフランシスコで大地震が起こりましたが、アメリカではまだ本格的な地震研究が行われていませんでした。しかし日本は既に研究を進め、独自に地震計まで造っている。「地震について世界は日本に学ぶべきだ」とまで言われ始めたのです。
日露戦争に勝利し、軍事では既に世界の列強の仲間入りをしていた日本ですが、学問や文化ではまだ二流との見方がもっぱらでした。地震学は、そうした風評を跳ね返す場面に登場したわけです。これは、科学の発展が国の政治的立場の向上に寄与することもある、という事例と言えるでしょう。

日本の明治・大正時代における地震学の発展をまとめた金先生の著書

時代の流れや社会状況までとらえる、視野の広さを身につけさせたい

地震学はその後、観測だけでなく、発生メカニズムを明らかにしようという方向に進んでいき、すそ野の広い科学に成長しています。歴史をたどると、科学技術は社会状況や時代の流れによって発生したり進歩したり、あるいは衰退するし、逆に科学技術の発達が、社会に影響することもあるとわかります。それを基にすれば、科学技術の発展により社会が、時代がどう変遷していくか流れを読むヒントになるでしょう。
ゼミの学生たちは、それぞれの視点で様々な研究を行っていますね。例えば生物多様性条約に基づき、2010年、締約国会議(COP)で採択された『名古屋議定書』を取り上げ、「遺伝資源の国際配分」を研究する学生もいます。ある学生は「太陽光パネル」をテーマに、もっと広く普及させるには、政治や社会にどのような要件を整える必要があるか、に取り組んでいます。
遺伝資源も太陽光パネルも、今後の社会に欠かせない要素ですが、科学技術の向上だけで世の中に広がるわけではありません。これらに限らず、どのような科学分野も、時代や社会に大きな影響を受けます。そこをしっかりとらえ、科学技術の行く末を見つめた上で自らの課題に取り組むことのできる力を身につけてもらいたいですね。

ゼミ取材 こぼれ話
科学の歴史を研究している金先生。これまでは主に地震学を中心としていましたが、今後は他のテーマにも積極的に取り組んでいきたい、と語ります。その対象の一つが『紫外線』です。「紫外線に関わる領域はたくさんあります。医療、環境、栄養、電機技術など様々な面からとらえることができます。まずは栄養の面から研究を進めようかと思っています」。今でこそ“紫外線はお肌の大敵!”と嫌われる存在ですが、紫外線が不足するとビタミンDの生成がうまくいかないため、かつては“紫外線をもっと浴びよう”と言われていた時代もありました。紫外線を切り口に、時代は、社会はどう変遷したのかを明らかにしたい。金先生はそう考えています。