2010年度に卒業・修了された皆さんへ
卒業、修了おめでとうございます。こう言いながらも先週の東北関東大震災には胸が痛みます。みなさんの学年を始め、関東から北海道に保護者住所がある本学学生とご自宅ご家族の安全が確認できております。ひとまずは安心しております。しかし、ご親戚の方や知人のこともおありと思います。連日の報道で自然の力の大きさと厳しさと技術の課題をいやと言うほど見せつけられました。
みなさんは、「超氷河期」と言われる中での就職活動でした。まだ決まらないまま今日を迎えている人もいることを承知しています。自分で選ぶ余地がなく、自分ではどうすることもできない情況に置かれることは、今回の震災もそうですが、長い人生ではあるようです。問題は、そのような中でどのように生きていくかです。
そのような思いもあって、社会に巣立つみなさんへのはなむけの言葉として、「HIT四つの行動」を贈りたいと思います。式次第の中に「HIT四つの行動」という紙がはさんであるかと思います。ご覧ください。「HIT四つの行動」とは、本学の建学の精神と教育方針の考えをより具体的に行動レベルで表現したものです。4月から公にすることになっておりますが、卒業するみなさんには、今日ここで、私からのはなむけの言葉として贈りたいと思います。
本学の建学の精神は「教育は愛なり」です。「愛」は可能性を信じることと考えよう、そして、教職員は諸君の可能性を信じて教育に取り組むから、諸君は自分の可能性を信じて学んで欲しいと申してきました。「可能性を信じて一歩前に踏み出す行動」の「可能性」はこの可能性のことです。明日からは社会人として、厳しい中ではありますが、可能性を信じて一歩前に足を踏み出す生き方をして欲しいと思います。設計担当になったら、「設計は愛なり」でやるのです。設計した製品を使う人のことを思い可能性を信じて設計をするのです。現場監督になったら、「現場監督は愛なり」なのです。営業になったら、「営業は愛なり」なのです。相手の人を思い可能性を信じて一歩前に踏み出すのです。
先日、本学で企業説明会を開催しました。名刺交換をしたある企業の方から、数日後お葉書を戴きました。礼状です。企業説明会ですから、面談した学生とのフォローをすることが彼の仕事で、たまたま出会った学長に礼状を出すことは彼に求められた仕事ではありません。しかしこの方は礼状を出しております。この行動がここで言う「一歩踏み出す」行動です。本学の学生を気にかけてくれる思いから出された一通の礼状、これが「一歩踏み出す」行動なのです。一歩が難しければ、半歩でもいい。厳しい時代、そして変化する時代なればこそ、半歩踏み出す行動は価値あるものになります。
第二、第三、第四の行動は本学の教育方針に対応するものです。本学の教育方針は「常に神と共に歩み、社会に奉仕する」ですが、教育の現場では、これを「社会・環境・倫理」という三つのキーワードに置き換えて理解しています。
これは「社会・環境・倫理」の「社会」に準拠したものです。
仲間をつくることは技術者として必要なことです。しかし、言うは易くなかなか難しいことです。「HIT四つの行動」では、まず「仲間に支えられる」行動を勧めています。
一昨日でしたかラジオを聴いていましたら、阪神淡路大震災に遭った方が、「あの時は皆さんに助けてもらった。だから今度はできることはなんでもしたい」と言っていました。仲間に支えられ、仲間を支え、そして仲間となるのです。本学の創立者である鶴襄先生は、この大学を作るとき、十分なお金もない中で、「どうしても将来を担う若者の学び舎を作りたい」と言ってこの地域の地主さんたちに理解と協力を求め、そして支えられました。それが50年を経てこんな大きな仲間ができています。
社会では困ることは多くあります。一人でしょい込まないで、「困ったら周りの人に支えてもらいなさい」ということです。そこから支える行動が生まれ、仲間ができます。
これは「社会・環境・倫理」の「環境」に準拠したものです。10年位前だったでしょうか、私は船の上から瀬戸内海の海の底を掬う場に居合わせたことがあります。金網で掬いあげられたものはヘドロでした。「そうなんだ、海の底はすべての終着駅なのだ」としみじみと思いました。環境問題は一方的に伝播(拡散)する特性を持ちます。だから、環境を大切にするには、モノ・おこないの行きつく先である終極に先回りして、最後の結果と状態に思いをめぐらすことが必要なのです。
これは「社会・環境・倫理」の「倫理」に準拠したものですが、説明を要しないでしょう。ただこの表現は若干抽象的で一般的です。実は当初の案は、「ばれるばれない・見られているいないによらない行動」でした。しかし、「ばれるばれない」の表現はこの種の標語の表現としていかがなものか、また「よらない行動」というネガテイブな表現はいかがなものかということで、最終的にはこのような表現になりました。しかし私は、当初の方がわかりやすくていいと思っております。
先般大学入試で、問題を試験場からネットに投稿し回答を求めるという事件がありました。19歳とはいえ、この受験生はことの良い悪いの判断をする分別は十分すぎるくらい持っていたでしょう。しかし彼は「ばれるばれない」で判断しました。
もしこの世の中の行動が「ばれるばれない・見られているいない」を基準としてなされたらどうなるでしょう。やってはいけないことは、ばれるばれないに関係なくやってはいけないのです。肯定的な言い方をすれば、やらなければならないことは、見られていようがいまいが、やるのです。
日本は今大変な状況に遭遇しております。みなさんはその中を船出します。しかし私は、こういう時なればこそ、みなさん若者の可能性を信じたいと思います。可能性を信じて一歩前に踏み出すことを期待してはなむけの言葉といたします。