建築工学科
金澤 雄記
教員紹介
プロフィール
- 【専門分野】
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○日本建築史(城郭史・民家史)
○文化財学
- 【担当科目】
- 建築史・設計製図
- 【研究テーマ】
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1.城郭の復元的研究
2.城下町のまちなみや町家の調査研究
3.山村集落や農家の調査研究
4.文化財の保存活用
- 【ひとこと】
歴史的建造物を調査・研究することで、地域の文化や社会情勢の移り変わり、人々の感情や生活の営み、また未来のあり方がみえてきます。まずは身近な建物や歴史文化に関心を持ちましょう。
研究紹介
金澤 雄記KANAZAWA Yuuki
工学部 建築工学科 准教授
近世の建築技術の粋を結集した“日本の城”。
その姿を、ありのままに復元する。
PROLOGUE
姫路城、大坂城、名古屋城…信長や秀吉、家康などが躍動していた時代に建造され、各地のシンボルとなっている、日本の城たち。日本の近世に建てられた城は約200城ありますが、城の天守が昔のままの状態で残っているのはわずか12しかありません。
そこで、失われた城の形を明らかにして、CGやVRなどのデジタル技術で復元しようと研究しているのが金澤先生。「近世の城は、当時の最高水準の建築。失われた建物を再現してその特徴や価値を明らかにすることが、私たち研究者の務めです」と先生は語ります。
失われた城の姿を、様々な情報を駆使して取り戻す。
近世に建てられた城の歴史は、織田信長が1576年に建てた安土城に始まり、1615年に徳川家康が一国一城令を発するまでの約50年ほどしかありません。この間建てられたのは約200ですが、天守が現存するものは僅か12しかありません。
1615年、江戸幕府は全国の大名に向け「一国一城令」を出し、居城以外の城は破棄せよと命令。多くの城が失われました。さらに1873年、明治政府は「廃城令」を発布。残っていた多くの城が取り壊されてしまったのです。大坂城も名古屋城も広島城も、昭和の時代に再建された城です。
私は小学生の頃から城が好きで、城の本を読みあさり、城巡りの旅に出るほどでした。やがて「魅力あふれる各地の城の復元に力を尽くしたい」と志向するようになり、研究者の道に進んだのです。
しかし、簡単ではありません。城の設計図は、当時の最高レベルの軍事機密です。詳細な設計図は、まず残っていません。ではどうやるか?城に関連する周辺の情報を集めるのです。例えば、城の石垣を改修した時の図面は残っていたりします。また、城のある風景を描いた絵図などがあれば、それも貴重な情報です。そうやって江戸時代などに残された文献をあさり、細かな情報を集め、城の姿をイメージしていくのです。
気候、風土、時代、権力者…、あらゆる角度から考察を繰り返す。
私は前任の学校で、鳥取県にある米子城の研究を進めました。築城は1591年で、天守は消失していますが、石垣や礎石など城址は良好な状態です。幸い、文献・絵図史料も豊富に残っていました。2006年、米子城址が「国史跡」に指定されたこともあり、城址の整備が始まりました。
城そのものの周辺情報とともに大事なのが、建てられた地域や時代の考察です。米子は山陰で冬は雪が積もるので、風土の似た地域である島根に建てられた松江城が近い存在と言えます。また米子城を建てたのは、中国地域で権勢を奮った毛利氏の家臣の吉川氏です。毛利氏は広島城も築城しているので、有効な資料です。建造された時代は熊本城や岡山城が近く、これらも参考になります。現存する史跡と、残された文献・絵図史料、地域・築城主・時代などのフィルターをかけあわせ、当時の姿を浮かび上がらせるのです。
米子城をCGとして復元。最近ではこれをVRにしたものも完成しました。このような復元図は、文化的価値はもちろん、観光資源としても活用できると思います。
当時の日本の建物は平屋の1階建てが中心でした。家も寺も神社も平屋で、階段を登る3層、4層の木造建築は、近世の城だけ。この事実からだけでも、築城にどれほどレベルの高い建築技術が注ぎ込まれていたかわかります。
城下町の町並みなども研究。生活の営みの姿を残したい。
日本の城の多くは昭和時代に再建された物で、中身はコンクリート造が多いのです。しかし昨今は「歴史に基づいて再建するべき」という流れになり、名古屋城や広島城でも木造で再建という動きが出ています。米子城のようにCG、VRで復元した城も、実際の木造建築として再現しようという気運が高まるかもしれません。そう思うと、ロマンがかきたてられます。
寺社仏閣、あるいは城に連なる城下町も私の研究対象です。政治的な意向に左右された城と違って、城下町は100年、200年前の町並みが残っていることも少なくありません。町家が残っていれば、古い町並みの風情を感じられます。そこにしかない、長く続いてきた生活の営みを残すことが、私たちの役目です。それらの研究成果を、心豊かに住み続けられる現代のまちづくりにも活かしたい、と考えています。