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建築デザイン学科

河田 智成

教員紹介

河田 智成KAWATA Tomonari

環境学部 建築デザイン学科 教授

研究者情報

プロフィール

【専門分野】
○近代建築史
○建築論
【担当科目】
世界建築史 、 近代建築史 、 日本建築史 、 専門ゼミナールA/B 、 環境構想史(大学院) 、 環境構想システム(大学院)
【研究テーマ】
1.ドイツ・オーストリア近世・近代建築における建築形態統合法に関する研究
2.ゴットフリート・ゼムパーの建築論を巡る建築思潮史的研究
3.日本における近代建築受容に関する建築史的研究
4.近世教育施設における「学びの場」の建築論的研究
【ひとこと】

何より、よき友とよき問いに出会ってください。そして、空間体験と読書によって、感性を磨き、思考力を鍛えてください。

研究紹介

河田 智成KAWATA Tomonari

環境学部 建築デザイン学科 教授

建築史を学ぶことで、建築の可能性を洞察する眼と、奥行きのある発想が育つ
PROLOGUE

「なぜ歴史を学ぶのだろう?」と感じる人もいるかもしれません。しかし歴史を学ぶと、いろんなことが見えてきます。人間がいかに愚かな判断を繰り返しながら、民主主義にたどりついたか、現代の価値観は人々のどのような行いの積み重ねの上に築かれているか…など。人間社会の奥行きを知るには、歴史的な視点が欠かせません。そして「同じことが建築においても言える。それが建築史を学ぶ意義です」と河田先生は言います。

見た目にこだわるだけでは、よい建築はつくれない

機械や電気、情報など工学系の他分野と異なり、建築の場合、その歴史を学ぶことが必須とされています。なぜかというと、建築は「人間の生(Life)のあり方を省察する」分野だからです。
スマートフォンやパソコンで検索すれば、カッコ良さげな建築の画像はいくらでも出てきます。しかし歴史的な視点がなければ「その建築の形態や構造に、どんな意図が込められているか」といった奥行きがなくなり、見た目だけの平板なものになってしまいます。
建築とは、そこに見えている形が全てではありません。設計過程の図面を見ると、あらゆる可能性を検討するなかで、最終的な姿が浮かび上がってきたことが分かります。なぜその形が選ばれたのか。そこにどんな時代・社会の背景があり、人間の「生」に対するどんな反省があったのか。そして、他にどんな可能性が模索されていたのか。ということが見えてくるのです。
歴史的な建築のデザインを徹底的に観ることで、その設計過程を追体験する。それが建築史研究の醍醐味です。時代とともに積み重ねられた建築家の試みに触れることで、自分の知恵や発想の土台ができるのです。即効性を期待するのは間違いですが、建築技術者として長く遠くまで走り続ける上で、欠かせないトレーニング、と言えます。

フランス革命や産業革命が、近代建築のきっかけとなった

現代建築の直接の起源は、1860~1920年代にあると言えるでしょう。それまでは、ギリシャ・ローマの古典建築から始まり、キリスト教による中世建築、そしてルネッサンス以後の古典主義建築という流れがあり、建築は国家や宗教的な権威の表現として発展しました。しかし、18世紀のフランス革命が個人の自由と平等を重視する社会を実現するきっかけとなったことで、建築も個としての人間、市民をクローズアップするようになります。
その後、産業革命が急速に展開します。この頃の建築家たち、例えばゴットフリート・ゼムパーなどは「炉・土台・屋根・囲いという4つの基本要素で建築を捉えよう」といった建築理論の構築に力を入れていました。こうした建築家たちの理論的模索のあいだにも、エンジニアたちは鉄やコンクリートをフル活用し、新しい構築物をつくっていきます。建築家の理論とエンジニアの新たな技術が徐々に接近し、モダニズムと呼ばれる近代の建築が完成するのが、1920年代頃なのです。これは、それまでギリシャ・ローマの古典風、キリスト教による中世風といった「様式」で捉えられていた建築が、「人間の生活ニーズにどう応えるか」という「機能主義」に舵を切る道筋と重なっています。
1920~1950年代は、機能主義に最も勢いのあった時代です。戦火で理不尽に住まいを奪われた人のため、多くの建築家が、機能的な住まいをつくるという命題に応えていました。

機能性を追求するだけの建築に、陰影に富んだ人間の「生」を反映できるか?

しかし、人間は食べて寝るだけの存在ではありません。死生観や生き方の美学も持っています。単に機能的にスペースを割り振るのでなく、人間らしい空間の価値を大事にしたい、と奮闘した建築家もいます。アドルフ・ロースは、ルームとスペースの両方の意味合いを持つ「ラウム」を重視し、機能と同時に人に直接触れるような心地よさの実現に注力しました。またフランク・ロイド・ライトは、大草原に伸び伸びとした建築をつくり上げました。見える形は異なりますが、「人間の拠り所となるルームをつくる」という思想が流れていた点では共通します。
機能主義が当然になると、「生」は生活に一面化され、その陰影に富んだ全体はかえって忘れられてしまいます。しかし「そうじゃない、生(Life)の全体が大事なのだ」と、声を上げる建築家もいたのです。切り捨てられたものが無価値なのではない。建築の歴史を学ぶと、そんな点に気づくことができます。
建築を理解する際、重要なのは「観る」ことです。大地にどう立ち、空とどう接し、大地と空のあいだでどう構えているか。その3つに着目して建築のあり方を観なさい、と学生には指導しています。重要なのは、建築のあり方が人間の「生」のあり方とどう結びついているか、です。奥行きのある広い視野を備えた建築家・技術者を育てたいと思います。

流行り廃りに目を奪われていては
建築の本質は分からない、
人間の生(Life)に立ち返って考えてほしい、
と学生にいつも指導しています